焼肉にニンニクはたっぷりつけてね
2001年3月20日石川県から来た友人と、連れ(腐れ縁と熱い愛で結ばれたわしら)は、昨日マイカル茨木の神戸プルコギ館に行ってプルコギを食べた。これは独特の鉄板で焼いた肉をちしゃ菜でキムチやにんにくと包んで食べる物だ。最後はうどんである。独特の鉄板と言うのは、丸い鉄板の周囲に深い溝があって、スープが張られている。そこで先に焼いた肉の肉汁が流れこむ。うどんを鉄板で焼いては溝でスープに浸し、これを繰り返す。するとタレの色でピカピカの焼きうどんが出来あがる。このうどんが病みつきになりそうに美味しい。
最近キムチやにんにくに強くなって、出してくれる量では足りない。にんにくスライスは補充してもらえないので、家からひそかにマイにんにくを持ちこみたいくらいである。
食事の後を我が家で聖書の話題で3人楽しんだ。ここでゼパニヤ書の1章12節が気になった。
「またその時,わたしはともしびを携えてエルサレムをくまなく捜すことになる。そして,自分の滓の上で固まっている者たち,その心のうちで,『エホバは善いことをしてくれないが,悪いことをもたらすわけでもない』と言っている者たちに注意を向ける。」
ここで滓という言葉がある。皆で滓で盛り上る。「ぶどう酒に入ってるよね。」
「日本酒では見ないね。」
「取り除く物なんだね。」
良質のぶどう酒を長い間「滓の上に」たくわえて熟成させると,透明度,アルコール濃度,芳醇さが十分に出ます。(イザ 25:6)他方,ぶどうの品質が悪いために初めから質の劣るぶどう酒は,それを滓の上にねかせておいても味や香りは良くなりません。
当時のイスラエル人は神の崇拝を離れ、偶像モレクに仕える事をやめなかった。淫行を、殺し合いを、だまくらかしあいをやめなかった。自分の滓の上だな。神の滓の上なら美味しいぶどう酒になったのにな。モレクはマルカムやミルコムとも呼ばれ、人間の子供を生贄にしたらしい。遺跡に多量の子供の人骨が出た。
ゼパニヤの警告の預言が西暦前659年、エルサレムの滅びが西暦前607年。気の長い話しだろうか。?感慨深く夜はふけ、今は今日、これからお仕事。がんば。
ここ宗教の話ししちゃいけないんだねえ。もっと早く気付くべきだった。しかし聖書の事抜きで私の日記をかくってのは不可能だな。聖書の話題はOKだと思う。あれはグロ−バルで全人類の物だ。うん。
聖書を愛する全ての人は世界中にいるもんね。
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